(実態)


昭和初期までは大部分が素掘り水路であり、毎年その維持管理は困難を要していた。また、雨の降る度に沢々から土砂が流入し、その都度下流農民の出役によって土砂上げ作業があった。また旱魃の年にはほとんど流れなくなり、相当の困難を要したのである。その後土地改良区管理になってからは石積み或いはコンクリート水路での改修となり、最近には殆ど用水不足は聞かれなくなり、また度々あった水喧嘩も聞かれなくなりました。